気楽な付き合い

 最近何も捗らないし、積みあがらない。体調と気分のよくない日が別にある。
 寝ても寝ても眠い。身体を起こしても、陽射しの活気にやられて、またベッドに倒れ込む。
 
 何もかも上手くいかない。いや、上手くいくことを望んでいないのかも。
 何事も2回目、3回目になると、退屈で、気が重くて、もうやりたくない。人間関係も仕事も生活も、「継続」が不可欠なのに。
 
 やりとりが楽しい人というのは、出会って間もない頃か、付き合いが2年以上続いているかのどちらかだ。その間の「気の遣い合いでやり過ごす」という面倒でくだらない期間は必ずある。
 仕事などで同じ空間や機会を共有するうちに、否が応でも理解や信頼関係というものは生まれ、親しい相手となる。
 これは環境と時間が作ってくれるもので、私は本当に感謝している。置かれてこなかったら、自ら選択しなかった。良い仲間を得てこれなかっただろう。
 一方で出会ったばかりの人は、何を聞いても新鮮だし、お互いに相手に興味があり、話題も尽きない。
 問題はその後だ。私はいつもそこから続かない。
 相手が何を求めているのかがわからない。たわいもないお喋りを、毎日毎時間できたら満足なのか。
 私は彼氏であっても、実のある時間を過ごしたい。ただ頭を撫で合うような、ぬるくか弱い時間に浸ることは求めていない。後に落ちぶれたような気持ち悪さが残るなら、何もない一人の時間を過ごすほうがましだ。
 寂しさを埋められたら、愛情もどきを交わせたら、満足なのか。私だって寂しい。優しくされたいししたい。それでも馴れ合いや停滞はそれ以上に、私を貶め、寂しい気持ちにさせる。消耗してボロボロになる。
 話を続ける気がないのなら、連絡をしてこないでほしい。連絡をくれるのなら、目的をはっきりわからせてほしい。私はサービスガールではない。
 寂しさや人恋しさをこちらにわからせないでほしい。私からの返事を犬のように待っていないでほしい。そして勝手に傷ついて私のせいにするのはやめてほしい。
 返信が億劫になるようなやりとりはしたくない。相手をケアするつもりで送るメッセージなど何の意味もない。それでも無視ができない性格なのだ。未開封のメッセージを抱えたスマホが横にあることは、気がかりで頭から離れない。
 私を縛らないでほしい。気を遣わせる機会を与えないでほしい。
 
 そう思うと、これまで付き合いの続いた彼氏には、それなりの要素があった。
 2年同棲した彼は、破天荒だったが、私を理解して、私の形に馴染もうと、心が痛むくらいに一生懸命だった。私を自由に泳がせてくれた。無理をさせなかった。
 今はもうやりとりをしていない34歳の経営者は、非常に俺様自分勝手で、私は構ってもらえないことに腹を立て続けたが、それくらいに放っておかれていたから気楽で、今でも会いたいと思うのかもしれない。
 
 人を友人として受け入れる許容は広いが、付き合うとなると非常に狭い。
 外見や存在感で、一目で無理なこともよくある。少しでも内側から光を放っていてほしい。人や環境任せではなくて、自分の頭で考えて、選択してきたものがある人は瞳でわかる。本質を見て、一生懸命に生きようとしている人がいい。
 彼ら二人の瞳を、私はよく覚えている。
 
 私という人間は本当に難しい。
 待たれるのも嫌だし、放っておかれるのも嫌だ。私を退屈させずに、上手く扱える超人はいるのだろうか。
 
 何でこんなにも不調なのだろう。
 昨日は雨のせいかと思ったが、思えばもうすぐ生理だ。
 そうだ、そのせいだ。