矛盾の好き

たくさんの商品を手に取って、やっぱり君がいいんだと知る
助手席、甘い香り、大人な横顔。
説明を1回聞いたら十分。惹かれない
一人の部屋の安らぎを求めたら終わり
 
君の何が好きかと何度も考える。最低中の最低なのに
 
君の好きなところは、私が好きになりたくないところ。
そこに自信を持ってほしくないし、
もっと大事にされたいから、言わないよ
 
手を握るタイミングも、子供扱いの笑みも、
心をなぞる言葉も、
憎たらしすぎるけど、飛び込みたい
猫になって眠ってしまいたい
 
理屈とか現実じゃなくて、心を大事にした。間違ってても許して
 
君の好きなところは、私が幸せになれない要素
でも君といる私は幸せになってる
憎いし変わってほしい。でも好きなの。
矛盾してる

盲目モード

 一周回った人というのは、どのくらいいるのだろう。
 初めてのデートで、会う場所や時間を自己都合で指定してくる人は本当に嫌いだ。
 少しでもリスクを負わないよう、保守的で計算高い人は、人間が小さい。そういうせせこましいことを考えている時点で、青い。
 選択した自分の責任だと、腹をくくって寛容であれと思う。
 一周回った人は、考え方も選択も本質に背かない。相手や場所を問わず、条件を超えた付き合いができる。
 人を見る目があれば、通話でもチャットでも、少しやりとりをすればわかるものだ。自分がせこい考えを巡らせる必要がある相手とは関係を持たないのが正解。関係を続けたところで、そういう自分に気づかない相手でも間違い。
 かしこい人ははっきりとしている。何気ない気遣いに気づき、評価する。
 
 彼との関係は、不安定しかない。優しいと思ったら、1日以上返事がなかったり、なかなか安心させてもらえない。
 私は上手に自分を緩めながら、彼を適当に信じて待つしかできない。心に正直になって決断したのだから、ある程度覚悟しなければ。
 私もため込めない性格だから、言うことは言っている。彼の私への理解も、少しずつ深まっている。と思いたい。
 少し会うだけで、どんな蟠りも吹き飛んで、ハッピーで浮かれてしまうのだから、罪なものだ。
 次も会いたいという人がなかなかいない中で、なぜ彼は違うのだろう。やっぱり彼は大人なんだと思う。一周回って、大人で、そしてとんでもなく自分勝手なのだ。
 
 テレワークの生活に慣れてくると、時間が上手く使えなくなってくる。
 最近景色が見えない。盲目モードになっている。恋愛をしているからだろうか。途端に視野が狭くなるからな。
 感覚が散らばるほど、回収するのが難しいが、隙間を許せるから諦められる。
 ぎっしり詰まっている今の状態は、瞳を動かす余裕も、感覚を広げる余裕もなくて、自分が酷くつまらない人間になったよう。
 
 ああ、何も考えられない。思いつくことを綴っていこう。
 好きな人と結婚をしたい、という言葉を聞いた。私もそうだ。まるで夢みたいな話だけど。
 祖母が両親の還暦祝い向けて張り切っている。祖母を立てて、良い会にしてあげたい。
 女を磨くって何だろう。JYパークは、育てるアイドル達にこう言っていた。デビューするための心構えは「真実、誠実、謙虚」。
 真実は、場所や時間や人を問わず、隠すものがない自分でいること。カメラの前でできないことはカメラのないところでもしない。
 誠実は、自分との闘い。自己実現のために積み重ねた努力は、必ず叶う。
 謙虚は、言葉や行動ではなく、心の謙虚を意味する。人の良いところを見て、心から感謝できること。
 達観した人の言うことは、みんな同じだ。
 
 今日会う相手も、見込みがなさそうだ。彼からは相変わらず連絡がない。
 場所を変えても、筆が進まない。

チャンスか失敗か

 案外どうにかなるものだ。一晩経って生きた心地が戻ってきた。
 
 月に翻弄されたなし崩しの身でも、不幸中の幸いがあるものだ。幸いと認めたくないが、だいぶ気が楽になった。
 彼にメッセージを送った。弱気になってどうでもよくなった。関係が継続になった。
 私に映る彼は最低だ。でも距離を置いて残ったのは未練だった。彼の誠実や真剣を私が理解できないだけではと。
 私は自分のフィルターに自信が無い。間違った認識は嫌だ。
 それに彼は私が珍しく会いたいと思う人。この感覚は貴重だ。
 
 表参道の矯正歯科で下のワイヤーを外し、柏の歯医者で虫歯を治療してもらった。その間に母とショッピングを楽しんだ。
 休日の気合いの入っていない格好。表参道の空気。柏の空気。電車に揺られる心地良さ。何もしないことを許せる時間。眺める歌詞。蕾が開いていく香ばしい気持ち。消費に飢えてデパートに群がる人達。控えめに粘り強くお店を開ける店員さん。夏の歌。入道雲がそこまで見える。思わず揺れ動くしっぽ。私の帰りを心から歓迎する純粋と愛情。犬はちゃんと愛を知っている。
 溢れる父の鼻歌。引き出せたことを密かに喜ぶ私。塩加減が絶妙な鰆の塩焼き。まだ春でいい。止まらない口。ここにいる人達が聞いてくれる相手であること。私の要素は全て他人に作られている。
 寝不足でまぶたが重い。知らず知らずに疲れているけれど、大したことはない。帰って休める家がある。真っ暗な景色。街灯が左から右へ過ぎ去っていく。
 過ぎていくことは諦めなければならない。それでも前向きに明日を待つ。弟の境遇。選んできた道。どうかそこに優しい灯火を。遠くから願うことしかできない。
 揺れるロングスカート。響く低音。1日が終わった。心に正直に生きるのは難しい。
 
 誤ちから生まれるチャンスもある。チャンスか失敗かわからないなら、どちらとも考えないほうがいい。
 人の噂話は、吐きそうなエピソードがたくさんある。目が回る。本当にどうでもいい。
 誰でも、いいところが見えて、ずっと変わらず好きで、信用していられたら、どんなに楽だろう。

ストリートスマート

 毎日「時間」というエスカレーターないし、車に乗っている。こんな気でいる。
 身体は進んでいく。景色もみるみる変わっていく。頭や気持ちは置いていかれる。距離は離れるばかりだ。どこか心細さに耐える感覚は永遠に続く。どうしようもないものだ。きっとこの感覚は正しい。
 長時間のドライブ、桜の季節、不安や恐怖が際立つのは、儚さに直面しているからだろう。
 
 朝は、雨を待つような空で、気温の低かった。思わず暖房をつけてしまった。
 冷たい空気が肌を刺す心地が、気持ちをしゃんとさせる。冷静な思考を取り戻させる。
 「ストリートスマート」という概念を知った。外見ではない人間味の魅力を磨いた個を目指すという考え方だ。私が念頭に置いてきた理想を、一言で表現できる言葉に出会えた。嬉しい。
 頭の回転が早く、気の利いた会話を交わせるようになりたい。声、表情、言葉、雰囲気、文章、発言、自分から発信するすべての表現が、柔軟で豊かな女性になりたい。
 「表現力」というものは無限だ。誰にも未知だ。恐ろしくもあるが、どこまでも夢があり、希望を持たせる。実感が人それぞれというのもいい。価値を置かない人もしくはそもそもその実態に気づかない人もいるが、私は何を差し置いても価値のあるものだと思う。感性を一律で共有できないから、自分がどこにいるのかがわからない。それもフェアでいい。
 厳しいけれど、救われる世界を神様は作った。お偉い人や、声の大きい人が定めた規則や枠組が効力を成せない、人間力だけが活きるフェアなこの世界で、私は仲間を作り、上を目指したい。
 心を解き、自由に泳ぎ、すべてを見つけ、命を与えるような表現を、自分の手で作り出していけるのなら、それほど幸福なことはない。
 曲を書きたい。小説にしても音楽にしても、美しく、リアルな表現に出会い、自分のものにしたい。
 表現を極めた、自分の心に正直に向き合ってきた人達の境地を、すべてさらいたい。同じところで手を繋ぎたい。
 実態のない夢が広がる。周りには信じがたい夢だけを、叶えるために生きている。
 
 恋愛さえも、私にはゲーム感覚なのかもしれない。
 結婚を目標に恋愛をしたいのではないと気付いた。私にとって恋愛の価値は、非日常に心が動く充実とスリルと成長なのだ。結婚やお付き合いというものは、ただの状態でしかない。私は自分を豊かにするものにしか価値を感じない。
 
 ある番組を見て、これまで聴いてこなかったクリープハイプの良さをかじった。あるアーティストの尊敬者を聞いて、自分と何も変わらないのだと思った。ミスチルの深海をじっくり聴きたいと思った。
 指がお風呂上がりのように心に馴染む音をならす。
 慌てなかったとしても、タイミングは逃さないでいたい。溺れず、固くならず、目を伏せていても、口元は微笑んでいたい。
 道を外した頃から、太陽に手を伸ばし、夏を掴もうとした。あの時とはまた違う気持ちで、今年の夏を迎えたい。

気楽な付き合い

 最近何も捗らないし、積みあがらない。体調と気分のよくない日が別にある。
 寝ても寝ても眠い。身体を起こしても、陽射しの活気にやられて、またベッドに倒れ込む。
 
 何もかも上手くいかない。いや、上手くいくことを望んでいないのかも。
 何事も2回目、3回目になると、退屈で、気が重くて、もうやりたくない。人間関係も仕事も生活も、「継続」が不可欠なのに。
 
 やりとりが楽しい人というのは、出会って間もない頃か、付き合いが2年以上続いているかのどちらかだ。その間の「気の遣い合いでやり過ごす」という面倒でくだらない期間は必ずある。
 仕事などで同じ空間や機会を共有するうちに、否が応でも理解や信頼関係というものは生まれ、親しい相手となる。
 これは環境と時間が作ってくれるもので、私は本当に感謝している。置かれてこなかったら、自ら選択しなかった。良い仲間を得てこれなかっただろう。
 一方で出会ったばかりの人は、何を聞いても新鮮だし、お互いに相手に興味があり、話題も尽きない。
 問題はその後だ。私はいつもそこから続かない。
 相手が何を求めているのかがわからない。たわいもないお喋りを、毎日毎時間できたら満足なのか。
 私は彼氏であっても、実のある時間を過ごしたい。ただ頭を撫で合うような、ぬるくか弱い時間に浸ることは求めていない。後に落ちぶれたような気持ち悪さが残るなら、何もない一人の時間を過ごすほうがましだ。
 寂しさを埋められたら、愛情もどきを交わせたら、満足なのか。私だって寂しい。優しくされたいししたい。それでも馴れ合いや停滞はそれ以上に、私を貶め、寂しい気持ちにさせる。消耗してボロボロになる。
 話を続ける気がないのなら、連絡をしてこないでほしい。連絡をくれるのなら、目的をはっきりわからせてほしい。私はサービスガールではない。
 寂しさや人恋しさをこちらにわからせないでほしい。私からの返事を犬のように待っていないでほしい。そして勝手に傷ついて私のせいにするのはやめてほしい。
 返信が億劫になるようなやりとりはしたくない。相手をケアするつもりで送るメッセージなど何の意味もない。それでも無視ができない性格なのだ。未開封のメッセージを抱えたスマホが横にあることは、気がかりで頭から離れない。
 私を縛らないでほしい。気を遣わせる機会を与えないでほしい。
 
 そう思うと、これまで付き合いの続いた彼氏には、それなりの要素があった。
 2年同棲した彼は、破天荒だったが、私を理解して、私の形に馴染もうと、心が痛むくらいに一生懸命だった。私を自由に泳がせてくれた。無理をさせなかった。
 今はもうやりとりをしていない34歳の経営者は、非常に俺様自分勝手で、私は構ってもらえないことに腹を立て続けたが、それくらいに放っておかれていたから気楽で、今でも会いたいと思うのかもしれない。
 
 人を友人として受け入れる許容は広いが、付き合うとなると非常に狭い。
 外見や存在感で、一目で無理なこともよくある。少しでも内側から光を放っていてほしい。人や環境任せではなくて、自分の頭で考えて、選択してきたものがある人は瞳でわかる。本質を見て、一生懸命に生きようとしている人がいい。
 彼ら二人の瞳を、私はよく覚えている。
 
 私という人間は本当に難しい。
 待たれるのも嫌だし、放っておかれるのも嫌だ。私を退屈させずに、上手く扱える超人はいるのだろうか。
 
 何でこんなにも不調なのだろう。
 昨日は雨のせいかと思ったが、思えばもうすぐ生理だ。
 そうだ、そのせいだ。

音楽と心

 まだら模様の鱗雲。正面遠くの電線に止まった一羽が、こちらからは見えない遠くを眺めている。
 よくないぞと忠告されている気がした。拳を握る力が弱い。私はまだどうしようもなく未熟だ。
 今にもっと痛い目を見るだろうけど、今はこれくらい緩い方がいい。
 
 小さい頃、両親はよく私と弟を外へ連れ出した。お弁当を持って。行く先には色とりどりの新しい景色が待っていた。
 車の中ではいつも音楽が流れていた。サザン、ドリカム、ユーミンミスチル、スティービーワンダー、ビートルズ……。両親の世代より若いアーティストだが、2人は良い曲、素晴らしいアーティストを広く好み、楽しんだ。
 私は壁にもたれ、みるみる移り変わる景色を眺めながら、他に何もしようがない時間にただただ身を預け、音楽を聴いた。人の会話を聞くように、時には色んな考えを巡らせながら。出鱈目な単語を聴こえたまま口ずさんだ。
 昨夜通話をした友人の鼻歌を思い出し、ランニング中にサザンのTSUNAMIを流した。飽きるほど聴いてきた曲なのに、初めて聴くような華やかな感覚が、内側に、心の視界に広がった。
 それは、子供の頃にはわからなかった。経験や成長を経て、共鳴が増えていく。曲の姿が見えてくる。音楽も人と同じで、理解で繋がっていくものだった。
 私は嬉しかった。今からもまだまだ新しい表現や境地を知り、自分の正体を見つけていけるのだと。普遍的な真実を、共通の思いを、切望している仲間がたくさんいる。
 その一方で、やっと「はじめまして」と握手を交わしたような音楽たちが、私にとっては旧友だった。私を作ってきた大きな要素だ。
 彼ら彼女たちが歌う景色や切ない気持ちを、揺られながら繰り返し想像してきた。言葉、音、声色、意味、選択、表現力、あらゆる方面のアプローチの融合に何度も感動し、鳥肌を立てた。ひたすら耳に入りループする音楽が、私の想像力の欠片といて蓄積され、繋がってきた。
 出会ったこともない人達に生きる力をもらう。共通の思いが希望になる。人との繋がりは本来こういうものでいいのだろう。自分が誰かの力になることを考える時もそうなのだろう。
 見ず知らずの人でも、理解さえあれば前を向けるのだ。世に歌を発信し続ける人も、同じ気持ちなのだろう。
 
 それにしても私は一か所に留まることが苦手だ。
 掴みどころがないとはよく言われる。自分でもそう思う。気持ちがコロコロ変わるわけではない。ただ一か所に留まることが大の苦手なのだ。
 同じ人に、同じように接し続けることができない。自分を慕ってくれる人に申し訳ないと思う。不安や不快にさせたいわけではないけれど、周りはそれがわからず、嫌われたと思い出す。当然だ。伝えていないのだからわかるわけがない。
 本当の私は、みんなを大事にしたくて、常にどこか心が痛くて、理解だけを必死に求める臆病な人間だ。
 誤解せずにわかってほしい。難しいと思わず、見つけてほしい。私に光を見つけてほしい。
 
 恋愛は一か所に留まることを求められるから苦手だ。その部屋に入った私は、振る舞い方がまるでわからなくなり、酸素を吸いつくしてしまう。
 岡山のお父さんお母さんが私に目を留めてくれたのは、こういう性分を始めてからわかっていたのかもしれない。理解をひたすらに探求し続ける不器用な生き方しかできないと。
 そして、こういう生き方しかできないと言われてきたのは、気休めではなく、事実でしかなかったのだ。
 本質的に、現実的に、体質的に、無理なのだ。今に満足をして腰をおろして、建設的な人生を辿っていくような人生とは無縁の体質なのだ。磁石のように反発して、絶対に留まっていられない。
 2人はやっぱりすごい。少しほっとした。
 横のJBLの小さなスピーカーから、椎名林檎の「ありあまる富」が流れている。

独学自作

このまま川に飛び込むでも、行けるところまで歩くでもいい。
「なんでもいい、とにかく広いところへ」
そう思える時の自分が好き。
 
捕らわれない。そういう生き方をしてきた。
いいか悪いかではなく、そうしかできなかった。
 
いいんだ。掴めなかったものはあるけど、ほしいものじゃなかった。
いや欲しかったかも。でも今の私にはいらない。
 
少しだけアルコール入っているけど、目はちゃんと開くよ。
あなたがそこにいるのもわかる。捉えて離さないよ。
ほんとうだよ、酔っ払って言ってるんじゃない。
 
緻密な人生のメリーゴーランド。
疼く細胞は黙っていられず。
私はもっと大きかったのよ。
 
正しいものを示されようと、
長い年月をかけて学んでいくから放っておいて。
酸いも甘いも、拳が傷んでやっと気付く。
 
それでいいの。
私だって正しいんだから。