小さな解放と先

 愛か恋か執着かプライドか、よくわからないがとにかく苦しくもがいたあの感情は、手放して1日もしたら何でもないことだった。
 特別に映っていた彼も、傍観すると大したことはなかったと思える。またいつ気持ちが変わるかわからないけれど、今は薄っぺらいパイ生地のように思える。
 吹っ切って、次に目を向けた私は最強だ。
 私を乗せて動く電車も、移り変わる外の景色も、あらゆる現象が、明るく活動的なものに思える。
 退屈を覚悟した明日も、風通しの良いエネルギーが循環している。
 気が楽だ。このほうがずっと私らしい。
 
 もし後になって、彼が何か言ってくることがあったらこう聞きたい。「あなたはどれだけ私のことを考えた?」
 食事やデートの機会もなく、控えめなSOSにも苦い顔をした。私の都合や気持ちを考えてくれていると思えたことがなかった。
 私も受け身な人間だが、彼は私以上に与えてもらいたい人だ。それに対して私は負い目を感じ、彼は感じていない。自分を一番愛しているから。
 
 彼の話はもういい。疲れたから考えるのをやめよう。
 疲労した一週間だった。吐きそうなほど同じことを繰り返し考えていた。
 死んだように眠る夜もあれば、わずかな時間も潤いを得ようと貪欲になれる日もある。
 泥沼で投げやりな曲に浸り、身を削る快感に溺れる日は、意思のある音があれほど煩わしいのに、今はそれらも私を運んでくれる風だ。低音もシャウトもアタック音も心地よく楽しい。
 自分の考えや感覚を掘り下げるのも大事だが、すべてをモーラできる広い許容と視野は、たくさんの味方に囲まれ、結果的に救われる。
 貫くより、肩の力を抜いて受け入れるほうが、良い生き方ができる。
 いつも見る空が、丸い窓から見るものだったとしても、飛び出すことができるのだ。
 明日も広い空を見たい。また少し強くなったはずだ。