散歩をしながら

 緊急事態宣言による自粛期間が、1か月程度延長になりそうだ。
 そんな中始まったGW。犬みたいに駆け回りたくなるような陽気だが、約束やイベントの予定は何もない。
 誕生日を迎えてから早1か月。もう29歳の12分の1が過ぎようとしている。出会いも恋愛もあったもんじゃない。
 
 この期間、人との出会いやコミュニケーションではないところで、どのようにしたら自分を磨けるかということに必死だ。
 代り映えのない部屋の中で、いかに魅力的に成長していけるかは、本人の意識次第だ。良い女性になるために1秒だって無駄にしたくないという思いはあるものの、興味のないことにはまるで気が向かないし、根詰めて勉強に取り組むことも受け付けないので、扱いにくい自分につくづく苦労している。
 
 昨夜もまた映画を見ながら寝落ちした。電気はついたまま、寝支度もしないままの、ため息をつきながら目覚める朝だった。
 いじけて目を開きたくないもどかしさと葛藤する。うっすらと瞼を開くと、そんな気をまるで無視した陽の光が、自慢気に外の世界を染めている。
 仕方ないなと思いながら身体を起こし、紙に予定を書き出した。
 とりあえず、毎日仕事のつもりで過ごそう。息が詰まったらひとまず外へ出て、空の下に身を置き、辺りを眺め、光や風を受けよう。木や花や建築物のように。そう思った。
 
 この情勢の中で奇跡的に営業している、ユニクロを2つ先の駅に見つけたので、運動がてらと、この季節に着る服ない不満を解消すべく、歩いて向かうことにした。
 紫外線の強さは、聞かなくてもわかる。日焼け止めとキャップとマスクで日焼けは免れただろうか。
 足をただ動かしているだけの移動という時間は必要なものだ。普段は片手間に聴いている音楽を、歌詞から音から、考えを巡らせながらしっかり聴き込む作業は、何より私の心を深める。癒しと教訓を及ぼす。
 お気に入りのプレイリストを聴きながら、1時間の散歩はあっという間だった。1時間でも15曲ほどしか聴くことができないのだ。普段の通勤では、ない時間を惜しむように、厳選した曲を詰め込んでいる。
 
 初めて通る道なのに、見慣れたただの道なりないし住宅街だと感じてしまう自分は恐い。
 一つでも多くキラキラしたものを発見できたり、新しい思いを巡らせるきっかけに繋げられたり、そういう想像力のアンテナを増やしていきたい。
 自分の身長を超えるほどの大きなサボテンを見た。どのように育てたのだろう。ミニ藤棚。空の水色に馴染もうとするような、瑞々しく生命力に満ちた新緑。釣り糸を垂らすおじさん。玄関先で子供とモルタルを修繕しているお父さん。
 自転車屋さんを数軒見かけた。広いウィンドウの端から端まで並べられるだけの自転車を飾り、活気があった。このご時世なので繁盛しているらしい。新品の自転車を引きながら歩く夫婦や親子を何人も見た。
 休業の張り紙の個人商店。どれだけ見ただろう。私が外出を控えなければと思うのは、祖母を案じてのことだけではないと気づいた。
 奇跡的に現時点で自分は仕事がなくなったり収入が減ったりの影響はないけれど、その被害をダイレクトに受け、苦しんでいる人達がたくさんいるのだ。私も収入が少しでも減れば生活が回らなくなる。お金がないことによる辛さや不安は痛いほどにわかる。
 決して他人事ではない。自粛に真剣に取り組まない人は、被害を受けていない人達だろう。外を堂々と出歩き、飲食や買い物で金銭を消費して欲求を満たす行為は、被害を受けて首が回らないような、追い詰められた人たちを馬鹿にする行為だと感じる。だから私は少しの外出でも気が引けてしまうのだ。(お金を使うことで営業店を助ける効果があるのもわかるが、それはそれだ)
 白い車が通り過ぎるたびにナンバープレートに目が行き、12番ではないことがわかってほっとする。
 
 ユニクロで2万円も使ってしまった。着るのか着ないのかわからない服を。3回も試着室を往復した。
 二の腕の太さは毎年変わらない。鏡を見てテンションが上がる姿になりたいと心から思う。
 会計はセルフレジで、商品を入れたカゴを指定された位置に置くだけで、支払額が瞬時に計算される。タッチパネルを推し、クレジットカードを通す。こうも会計が簡素になると、2万円の大金という感覚が大分薄れる。
 
 帰り道にカフェでゆっくりしたかったが、どこも休業だった。マックも店頭の持ち帰りとドライブスルーのみの営業。
 地元の駅まで戻ってから、セブンイレブンでカロリーゼロのカルピスを買う。人が多く、繁盛していた。コンビニで買い物をしたのも久しぶりだ。コンビニで買う時は目新しいものを買いたい。
 帰り道、曲を聴きながら何度か、ははっと声を上げて笑うことがあった。今まで少しも心に響かなかったラブソングをしみじみと聴いている自分に笑いが込み上げた。
 何とも情けないような、可愛く思えるような気分だ。悪くない。それでも、こうも悩んで落ち込んで不安になってと、狭い範囲で堂々巡りをしている自分はまだまだだ。
 
 昨夜12時に車でやってきたにっくんは機嫌がよろしくなかった。
 彼が株かビットコインかのスマホ画面を眺める姿は様になっていた。驚いた。初めて、彼がちゃんと仕事をしているのかもしれないと思った。
 それもそうだ。稼がなければ生活していけないのだから。これまで自社を経営してきて収入の多かった人だ。親のすねをかじってぬくぬくと過ごすことを喜んで選ぶ人ではないだろう。
 彼は、私が声を聞きたくて「話さない?」とラインで送ったのを、改まった話があるのかと思って時間を作って来てくれたようで、話がないとわかると不満そうだった。
 
 彼との時間で、また一つ発見があった。気分は悪かったが。
「私のこと好き?」「他に会ってる子いない?」私がそう聞いたことに、彼は「いつも同じことばっかり聞く」と言った。
 元彼も言った。「saaさんは同じことばっかり言っているよ?」と。
 驚くのは、自分では同じことを尋ねている自覚がないことだ。前に言ったことを忘れているのではなくて、前は前、今回は今回と、別物のつもりでいる。
 状況は常に変化している。数日経って変化した心境は、私の中では「前と同じ」ではない。だから新しい気持ちで、私は毎回尋ねる。
「いつも同じことを聞く」と彼が言うのは、一度言ったことは変わらないという前提があるからだろうか。「男に二言はない」ということなのか。
 私がいつも同じことを尋ねるのは、自分の気持ちが短いスパンで頻繁に変わることを意味しているのだろうか。自分がそうだから、相手もそうだと思い心配になるのだろうか。
 それから、これは私の性格的なものなのだろうか。そうではない気がしてならない。
 私は彼たちのスタンスがいまいち理解できない。男性と女性の感性の違いじゃないかと思うのだが、実際のところはどうなのだろう。
 私は彼に不満が多い。例えば、返信をしなかったり、きちんと会う日時の約束をしようとしない。聞いたことに答えないこともある。都合のいいことしか連絡をしてこない。対応が雑で、都合のいい相手と思われているように感じている。
 でもそれが、そうではなかったら。自分と相手の、恋愛に対する比重の図を想像してみる。
 私は好きな人が出来ると、自分の脳内を100%相手が覆う。仕事や生活と重なる感じだ。恋愛という背景の上で、生活や仕事が繰り広げられる。
 彼や元カレ、男性というものは、そういう物事を重ねずに分割する考え方をしているような気がする。しっかり線で区切る感じ。だから仕事や夢中になっているものがある場合、それが終了するまで恋愛に目を向けない。
 もし彼が本当に仕事(趣味)に打ち込んでいて、私への思いもちゃんとしたものだったのなら、その境界を超える時間を取れずにいたということになる。
 そういう可能性もあるのかもしれない。恋愛で頭をいっぱいにして他のことが手につかない哀れな状況は私であったのもしれないと思った。
 
 帰宅後、ヨルシカのピアノ譜にコードの書き込みをしてからこうして文章を書いていると、彼からラインが来た。「連絡はたまにかな?」と。今日一日何も送っていなかったことが気になったのだろう。自分はよくあるのに。
 こういう人なのだ。私も悪気がないのだから、彼の悪気のなさも認めていかなければいけない。
 自分の時間を充実させようと思った。
 こんな感じで、今日も一日が終わった。