河川敷を眺めながら

 目覚ましの音が途中から聴こえてくるような感覚の鈍い日は、コンディションも気分も優れない。
 また一日が始まった。GW2日目。
 私は目が覚めると真っ先に窓を見る。カーテンの隙間から、昨日のような煌々とした陽射しが差し込んでいないことが物足りなく、ダラダラとベッドにしがみついている。
 今日は曇りなのか。それでも洗濯物は溜まっているから洗濯機を回そう。身体を起こし、今日やることを紙に書き出す。
 
 そういえば目が覚めた時、私は泣いていた。夢から抜け出した続きの自分がいるようだった。
 夢の中での私は、始めに、会社の上司の前で涙をこぼした。ある男の子の姿を見て。
 私はその男の子をよく知っているようだった。大学生くらいの歳だろうか。整った綺麗な顔をしていて、明るい茶色の髪が軽やかに靡いている。
 彼はバンド仲間と話している。作曲か、編曲か、楽器のエキスパートか、わからないけれどとにかく彼は音楽で優れた能力を持っていて、チームに大きく貢献している。
 彼はそれを少しも鼻にかけていない。一生懸命に力を尽くしたことが喜ばれる居場所と役割を与えられている今に幸せを感じ、穏やかに笑っていた。
 私は親心の気持ちで涙を流したのではない。彼の居場所はごく自然にあった。仲間が集まり、今の状況に感謝している彼。私はそんな彼の佇まいが眩しく、羨ましかった。
 その場面の後、私は祖母の家に戻る。母や従姉妹の家族が、祖父のお墓参りへ行くから出かける支度をしろと私に言う。
 私は疲れ果てていて、今は行きたくないと怒り、ソファにどっかりと座る。部屋はリフォームする前の、祖父がいた時代の模様だった。
 母たちがバタバタと出かけた後、部屋には私と祖母が残った。祖母は、今のタイミングで墓参りへ行くのは、仏様をきちんと敬えないと嘆いていた。ちゃんとした理由を言っていたが覚えていない。
 私は祖母の背中を見ながら、残された時間と救われない思いを想った。
 人は他人の大事にしたい思いを、どれだけ理解し、汲んでやることができるのだろう。全部を理解するのは無理であっても、私はやっぱり一つとして取り零したくないと思う。尊重できなかったとしても、わかっていたい。理解者でいたい。取り残された思いも、そもそもそれが見えない自分も、堪えられない。
 現実に戻ってきてからも、声を上げてしばらく泣いた。泣きながらも心は静かで、ぼんやり遠くを見ていた。
 
 今日は北千住まで歩くことにした。北千住まで行けば、空いているカフェがあるだろう。
 自粛中だが、できることはとりあえずやっている。青汁にプロテイン、ランニング、ヨガにストレッチ、高浸透ナノイーのドライヤーで髪のケア、肌や爪のケア、キーボード、映画、音楽、日記。積みあがっているのかどうかわからないフワフワした感覚だが、全部なりたい自分に必要な要素だ。
 岡山の父が書いた、感謝と怒りは共存しないという記事を読んだ。それから昨夜「10日で男を上手にフル方法」という映画を見た。
 映画は、広告代理店に勤めるベンが、ファッション誌の記者のアンディに、嫌われる目的で散々振り回される。彼は何度も憤り、屈辱を味わい、奥歯を噛み、頭を抱える。それでも苦虫を噛むように彼女の前では笑ってみせる。彼女を不愉快にさせず、何度も気を入れ替える。仕事の契約権がかかっているにせよ、あれほど常識外れな対応を受けたなら、私は相手に軽蔑や憎しみしか抱かないだろう。
 彼はそのうち、彼女の素の涙や笑顔に振れて愛情を抱く。これまでのことは全て水に流していた。
 私はベンを見ているうちに、元カレを思い出した。彼も私に憎まれ口を叩かれ、可愛くない対応をされ、何度も憤り反発した。それでもいつも諦めたように私を愛した。そんな可愛くない君が好きで一緒にいたいんだと私を抱き寄せた。
 彼は心底私を愛してくれていた。理解してもらったわけじゃなくても、私はそれで満足で幸せだった。なのに。それで満足できなくなってしまったのはいつからだろう。
 荒川に架かる橋に差し掛かると、視界が一気に開けた。私の大好きな空が広がる。川の先に、空に浮かぶように行き交う電車が見える。河川敷には緑の広場が広がり、子供が走り回ったり、家族がピクニックをしている。
 いつも電車から眺める風景だ。私は毎朝、電車が川へ差し掛かると必ず顔を上げる。キラキラと反射する川面が美しく、心が洗われるような気持ちになり、励まされる。今は反対側から同じ風景を見ている。過去の自分と向き合っているようだ。
 絵のような景色を見つめながら、私は結婚はできないかもしれないと思った。
 いつも相手に足りないものを致命的な欠落と感じて、やるせなくなる。感謝と怒りは共存しない。理解や安心や思いやり、尊重、それらもすべて怒りと共存しないのだきっと。
 私は求める気持ちが強すぎるのだ。今はそれでしか自分を満たすことができない。依存的な感覚かもしれない。
 にっくんが他の人と違うのは、彼に特別な何かがあるというわけではないと思った。
 一緒にいる時の私が違うのだ。手を広げて回りだしたくなるように、心も体も解き放たれる。色んな蟠りがとるに足らないものに思えるくらいに興味と快感が溢れて、感覚が解放される。
 そう、彼から離れられないことで、彼の最低な性格や行動をとことん振り返り首を捻ったが、彼がどうじゃないのだ。彼を前にすると、化学反応のように私の細胞が光り出す。開放される感覚が特別なのだ。
「こっち来いよ」と強引に手を引っぱられて渋々行った世界にあるもの。それが私の求める刺激によく似ているのだ。種類はまるで違くとも。
 趣味もない、話題もない、お人形のような弟の奥さんを思い浮かべた。弟は彼女を選んだ。彼女でいいと思ったのだ。
 私は彼女のようにはとても生きられない。彼女をそこまで知らないので失礼かもしれないが、彼女のように生きられたらどんなに楽な人生だろう。
 私はいつも飢えて、乾いている。いつも今いる場所が物足りなくて、窮屈で、広い世界へ出ることを夢見ている。
 もっと稼いで、自由に使えるお金を増やしたいと思った。私ならそのお金を、有効的に効果的に使う方法を考えていける。
 
 先日何かの小説で読んだが、人生は待つことの連続だなと思う。急いだところに欲しい物はない。じっくり時間をかけ、目で見て、耳で聞いて、考えて、感じて、そうでしか得られない、何にも代えがたい幸せや充実を順々に味わっていく。そこに特別な境地がある。本当に待ちくたびれるし、忍耐が必要だ。
 私はずっと、岡山の父がいつものんびり構えていることが不思議だった。どんなにくだらないと思うようなことも、今目の前の問題に力を尽くすことが大事だと私たちに言い続けた。誰も真似のできない偉大な父には、1分1秒と積みあがった色濃い経験がある。
 私は岡山で過ごしている時、待つことができなかったのだと思う。いつも先を急いでいて、答えがすぐに欲しかった。岡山の両親は伝えようとしたが、私にはそれを理解できるだけの人間性が育っていなかったから、実にならなかった。
 私は「今」に没頭できていなかった。地道な日常がくだらなく、つまらなく、時間を無駄にしているように感じた。
 東京へ来てから、こうして何もしないまま過ぎる時間に、何度も心を痛め、諦め、力のなさを思い知った。そしてその先にあるものが絶望ではないと思うようになった。やっと「待つ」ことの意味と重要さがわかってきたように思う。
 
 今朝弾いたヨルシカの「パレード」は、3つのコードを繰り返す取り掛かりやすい曲だが、とても私好みの曲だ。
 イントロのこのメロディを奏でた時に、ナブナさんはどう思ったのだろう。あ、また見つけた。心を撫でる言葉や景色を見つけた、そう思ったんじゃないかな。
 今だから見える。
 
 私はもっと強く大きくなれる。
 諦めず地道に過ごしていこう。愛する人たちや自分を信じるのだ。